小西米の歴史

小西養鯉場と、錦鯉と、農家の絆

小西養鯉場と、錦鯉と、農家の絆

2019年、小西養鯉場が100周年を迎えました。
現在の小西代表は、3代目。錦鯉養鯉として確立したのは2代目のときです。

今でも平地の少ない中山間地を数多く抱える広島県では、保冷技術のなかった100年以上前、食糧難問題を常に抱えていました。米の出来高の差も激しく、豊作の年の次に不作や凶作が続くなど、現在の米つくりとは雲泥の差の状況が繰り広げられておりました。県の水産局と初代小西代表は、現在の安佐北区後山の田んぼで、米と同時に真鯉を育てる試みを始めた。

春に田植えし、少し苗が育ったら池で養鯉していた鯉を放す。そこで一気に産卵し、稚魚が出てくると田んぼの水は鯉の回遊や泥の掘りかえしで濁理、根には酸素が行き、草は生えにくくなる。また、生えた草や害虫は、鯉の餌になる。3cm程度の生まれたての稚魚でも田んぼのプランクトンやタニシなどを食べてよく泳ぐため、たった数カ月で45㎝位まで生育する。
秋の落水時期に、鯉も収穫する。親鯉だけは次回のために池で養鯉する。

この鯉農法により、田んぼの水を抜く季節には鯉を出荷することができるようになり、荷台に鯉を入れるためのドラム缶にたくさん積んで、走るトラックが街と田舎を往復する光景が見られた。

いわゆる、現在の有機無農薬農法の一つである「合鴨農法」の基本的な考え方と奇しくも一緒で時代の先駆けとも言える。

真鯉は県北では、海が遠いこともあり鯉は貴重なタンパク源であり、また、農家の貴重な現金収入となった。
そして地域をあげて「水田養鯉」もしくは「稲作養鯉」といって、田んぼの裏作で鯉を育てるようになった。

戦争が終わり、保冷技術や流通も活発になり、食料問題が安定すると、真鯉を食べる習慣も薄れ始めた。そんな中、2代目小西代表は、飼育技術の蓄積を活かして、錦鯉の養鯉に舵を切りました。当時は錦鯉を欲しがる好事家はほんのわずかだったが、富裕層を中心に徐々に人気が高まり、現在の小西養鯉場になっています。

米作りから始まった、錦鯉。

小西米は、そんな稲作農家とともに苦しい時代を歩んだ史実を後世に正しく伝えるための米でもあるのです。

様々な錦鯉の品種
http://www.nishikigoi.co.jp/kind.html

今なお愛される鯉料理鯉のお味噌汁「鯉こく」

材料 (2~3人分)
・鯉600g前後
・水900cc
・調理酒 50cc
・みりん 50cc
・生姜 小さじ1/4前後
・味噌大さじ3~5
・ねぎ適量

1 養殖の卵ありの鯉がオススメです。
鯉は食べやすく切り、卵はそのまま。鯉をお湯で洗い流して下さい。

2 鍋に鯉と調味料を入れ中火にかける。卵に火が通り色がしっかり変わったら鍋の中で箸を使って卵を切る。

3 味噌を入れて溶き、5分ぐらい煮る。あくが出たら取る。器に入れ、ねぎ等を散らす。

鯉の里は、米の郷 Ricemeister 王地株式会社
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